ポロロッカの卵

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ポロロッカの卵

新たな視点から物事を見つめ直す新感覚横丁人情ブログ

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歌詞の話

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こんにちは。

 

はじめてのWiiに収録されている戦車のゲーム「タンク!」の攻略動画を昼夜問わず見ているポロロッカです。

 

 

音楽を聴きます。

多分みなさん、ウォークマンやらiPodやらiPhoneで、好きなアーティストに関してはCDを購入したりして、聴くと思います。

で、クラシック好きの方にはあまり共感してもらえないのですが、少なくとも僕が聴いている音楽というのは歌詞を有しています。

 

歌詞に対しては、いろんな世間の声があります。

楽曲が第一で、歌詞なんてなんでもいい、というタモリみたいな人や、はたまた歌詞さえ良ければあとは月並みなコードとリズムで十分、というタモリみたいじゃない人もいます。

正直どっちも極論すぎて、両方いいものであるに越したことはないのですが、僕はよく周りの人に前者の人だと思われます。タモリだと思われるのです。

 

これは僕の持論というか直感なのですが、文系の人は歌詞重視で、理系の人は楽曲重視という意見を持たれがちな傾向にある気がします。

僕は理系ですし、この楽曲のこの構成展開むちゃくちゃおもしろいな!とよく1人で感動することもありますが、決して歌詞をないがしろにしてはいません。むしろ歌詞からハマって好きになったアーティストもたくさんいます。

 

でも、世間ではリスナーをこの「歌詞派」「楽曲派」に二分させて仲間分けしたい、みたいな思想が蔓延っている気がして、反吐が出ます。音楽を好きになる理由なんてどっちでもいいじゃないか、と思うんですが、僕が「○○というアーティストにはまった」と公言すると、世間の目は「歌詞の意味も分かってない癖に」というような冷たいものに感じられます。だからこの二極化をなくしたい。

 

そこで最近僕は、歌詞と楽曲の2つを結びつけて味わうということをしています。

これだけ聞いても「は?」「何言ってんだf≠ckin' shit!」「腐れ黙れmake it possible with canon!」なんて思われてることでしょう。確かにこの捉え方は、歌詞を理系的に解釈した上で展開される議論なので、形式的に歌詞・楽曲派閥の壁をなくしているだけであり、歌詞を内容としての歌詞として捉えているわけではないです。

 

ということで今日は導入なので歌詞を内容として捉える方向の話をして、とりあえずアンチを減らしてから、明日にでも歌詞を内容として捉えずに、歌詞・楽曲の壁をなくすやり方の話をしよう。そうしよう。

 

 

ではでは、

歌詞を内容として捉える、の話ですが、

僕はよく曲を聴いて、それを人に当てはめます。

 

曲の歌詞には結構な確率で登場人物があります。「僕」「君」「あいつ」なんてものがよく出てきます。

基本的に「僕」は自分に当てはめて、「君」は恋人や親友に当てはまるのが相場となっていますし、売れている曲の大体の歌詞はそう当てはめれば誰しも共感できるようになっているから売れているのだと思っています。

でも、そうじゃない歌詞が出てきた時にたまらなく音楽の面白さを感じます。逆に僕からしたら、誰しも共感できる歌詞を歌っているba≠k n≠mberとか≠野カナとかみたいな歌手は、インチキ占い師みたいに見えます。別に嫌いとかではなくむしろ歌詞に共感も覚えますが、みんなが共感できるものを当たり前のように歌うのはまるで占い師が「あなた、今朝 朝ごはん食べましたね?!」と言ってカネをもらっているようなもんだと思うのです。ヌンカヌンカゲームみたいなもんです。そりゃあ共感する人が多いから売れるだろうけど、面白くはないな、と。

 

そういう理由もあって僕は、自分にしか当てはまらない境遇の登場人物が出てくる歌詞が大好きです。趣を感じます。

でも、そんな歌詞そうそうあるわけじゃないですね。そこで、たとえば、「僕」という登場人物を自分以外に当てはめてみます。「こんな状況のやつ、俺の身の回りにいたっけな」と考えます。案外いるものです。そうするとその曲はそいつの曲になります。

これがむちゃくちゃおもしろいんです。

 

さらにその歌詞は、時にその人に対しての自分の悩みやモヤモヤを解決してくれたりします。気持ちが軽くなることがあります。

 

たとえば、自分は高校時代にバンドを組んでいたとします。スリーピースバンドだったとします。メンバーは自分と男子と女子だったとします。自分はその女子メンバーと途中から付き合ったとします。最初の、みんなが友達の時は、よく3人で遊んでいたけど、その2人が付き合ってそういうこともなくなったなぁなんて状況だったとします。たとえばね。これは別に僕の身の回りとか関係なくフィクションね。

そんな状況において、その自分以外の男子メンバーを「僕」に、女子メンバーを「君」に、自分自身を「あいつ」にあてはめたらぴったりの曲があります。(この歌詞を公にはしたくないので何とは言いませんが、)その歌詞を読めば、その男子メンバーが当時どう考えていたかがわかるのです。いや分からないよ、人だからみんな何考えてるかは分からないし。でも、もしその人がその歌詞のようなことを考えていたとしたら、その人と将来サシ飲みしてその話題になった時にかけるべき言葉がわかるような気がするのです。1つの具体例としてのかけるべき言葉が。

 

さすがに具体的な歌詞を言わずにこの持論を展開するのは皆さん納得いかないと思うので、もう1つ軽めの具体例を出します。

たとえば、僕はある人のことを嫌いだったとします。その人のことが嫌いすぎて、四六時中その人のことを考えていたとします。

そんな時に、QOOLANDの「フレンドシップさようなら」という曲と出会いました。

 

君とはもう会いたくもないし二度と口を聞くこともない
それでもまだ君の事を歌う理由って何だ

 

これはその一節なのですが、この歌詞を読んで、「嫌いなはずなのにずっと気にかけているということは、もしかしたら僕はその人のことを嫌いになった自分のことが嫌いになったんじゃないかな」と思えるようになりました。この歌詞のおかげで仲直りしたのは数日後の話です。

 

 

ま こんな感じで僕は歌詞を味わっています。決してみなさんの想像しているような理系的な楽しみ方だけをするような人間ではありません。

といっても理系的な味わい方もするので、次回はそれについて話そうと思います。